[ カテゴリー » 幸運をもたらす ]

フィジカル・エリートが生き残る

アメリカのビジネス界の第一線で活躍している人の多くは、アスレチッククラブに通い、心身を強化している。これをフィジカル・エリートという。これからは日本でも、自分の体さえもコントロールできない人や肥満の人は、能力を疑われるようになっていくと考えられる。忙しい人ほど、一日のわずかな時間を自分の体の点検と整備にあてなくてはいけない。

体の疲れが以前ほどすぐに回復しないことを感じ始めて、スポーツクラブに加入した。早朝から一汗かくと、なんともいえないよい気分になり、仕事にも生活にも余裕が持てる。たとえスポーツジムに行かなくとも、自宅で出社前でもやる気さえあれば、体力づくりと体調チェックはできる。ラジオ体操のCDもでている。是非、朝のひとときを、フィジカル・エリートになるために活かそう。

— posted by 郷田 at 05:00 pm  

 

眠りと自分の頭の活用法を考えよう

トーマス・エジソンが電灯を発明するまで全世界は、今より約一時間は余計に寝ていたという。エジソンが電灯を発明したのは誰よりも自分の活動のためだったような気さえする。しかし、夜更かしや不眠症はそこから起こったのではない。むしろ眠る時間が短くなった分、熟睡ができるようになったのではないかと思う。

電気がなければ、眠くなくとも床に就かなくてはいけない。暗闇でできることは少ない。暗い中ではやりたいことができずに、悶々として朝まで起きていた人も少なくなかっただろう。肉体労働を主として、毎日働いたときの人間の睡眠リズムは、案外と一定で調整しやすかったのではないだろうか。

それに対し、頭脳労働から生じるテクノストレスのように、見えにくいものは質が悪い。近年、日光を浴びる機会も減り、体を動かす仕事もなくなってきた。OAの電磁波や雑音・騒音、さまざまな光と、五感はあまりに複雑で多すぎる刺激を受けとめかねているかのようだ。頭の使い方と共に、頭への影響を考えなくてはいけないようになってきた。何よりも頭の機能保持と、より良い活用のために眠りの研究が必要とされるのだ。

— posted by 郷田 at 05:00 pm  

 

企業も働き方と睡眠の関係を考えなければならない

朝はだめ、昼は居眠り、夕方一時がんばり、夜は疲れた。あなたもこんな毎日を送っていないだろうか。これを人生にあてはめてみると、子供のときも青年期も今ひとつで、中年でちょっとひとふんばり。老年は惰性と、あまりほめられたものではない。朝は時間が3倍に使えるという。すると、朝の1時間は昼の3時間、朝の3時間は昼の9時間にあたる。朝6時から9時で仕事をすれば、残業おまけ分の仕事はしているという計算になる。事務的な仕事はシステムをしっかり考えて効率化していくと、すぐに3倍くらいの能率向上はできる。昔ながらのシステムでやっているからだめなのだ。

単純労働も同じだ。引っ越しのプロはわずか1、2時間で完全な仕事をする。私は単純労働をやらせたら、その人間の創造性のほとんどがわかると思う。アウトプットされる分が量として目に見えるからわかりやすい。単純労働で早くて質のよい仕事ができる人は能力がある。ましてや頭脳労働であればどうだろう。数倍どころか無限の差がつく。数学の問題でも、解ける人には5分で解けるものが、力のない人は一年かかっても、いや一生かけても解けない。

企業は、この差を平均にならし、組織というクッションで緩衝してきたから、個人は本当の自分の力というものがわからなくなり、企業から出るに出られなくなってしまった。定年まで終身雇用制、給与保証のうえで、ポジションとやりがいを間違いなく与えてくれた時代は、わからないままのほうがよかった。企業への依存心が忠誠心と活力ともなったからだ。しかし今や大企業は、わからないことをはっきりさせようとやっきである。当たり前である。企業が拡大志向の発展をやめたとき、余裕がなければ否応なしに、人の評価は個人レベルではっきりしてくる。そして企業から個人評価をつきつけられ、その厳しさに愕然としてしまうのが、自らが企業を支えていると信じてがんばってきたサラリーマンなのだ。

今、最も時流を得ているのは、ゲームソフトの開発者と漫画家であろう。何となく想像がつくが、こういうクリエイティブな活動を量、質、期限から迫られる人は短眠生活にならざるを得ない。ノリのよいときに続けて何時間も進め、仮眠でそれまでの流れを後につなぎ、そして次々とアイデアを出していくといった具合である。ゲームソフトのように面白いかどうかだけで売れ行きが決まってしまうモノの開発に携わる人は、企業内でもフレックスタイムより自由で、かつ仮眠室を自由に使えるという環境におかれている。これは今後、企業の現場の環境づくりに大きなヒントとなるだろう。

— posted by 郷田 at 04:59 pm  

 

朝を好きな仲間と過ごして交流を深める

気のおけない仲間や好きな人たちとのひとときほど、体や脳に活気を与えるものはない。ときにはハメをはずすくらい遊び騒いでみよう。ハメをはずせなくなったり、人間的な弱さを見せられる相手をなくしたときから、頭は柔らかさを失い、心も老いる。人に会うのは、元気を取り入れることなのである。

心安らぐパートナーは最高の財産である。朝のデートをセッティングしてみるのもよいだろう。手紙を書くのもよい。調子の悪いときは、早朝に地球の裏側の友人に電話をする。もちろん、むこうは仕事を終えた時間帯であるからちょうどよい。たまにかけるのだから、どんなときも元気を出さざるを得ない。すると元気が出てくる。話をしているうちに、地球が小さくなってきて、自分が大きくなったように思え、なんとなく楽しくなってくるのだ。そういう友人をたくさん持ち、交流をあたためることも朝の有効な利用法のひとつだ。

— posted by 郷田 at 04:59 pm  

 

不健康の代名詞だった芸能人も朝のジョギングをしている

「5時から男」というのはバブルと共に弾けた。これからは「9時前男」が登場するだろう。この9時というのは午前9時である。次は、モーニングデートというのがトレンディーである。

もはや夜の闇にまぎれてお互いを化かし、酒でだましだまされる楽しさを追う時代は過ぎた。「素顔の君が好き」ということだ。夜をいかに演出できるかではなく、朝起きて隣にいる彼氏あるいは彼女のサッパリした顔が好きかどうかで全てが決まってくる。

セックスレスの時代というのではない。性の解放といって、まるでサカリがついたように女をモノにしようとしていたのは、性を弾圧され続けて育ったオジサン世代の反動だった。そうでなければ熟女のヌード写真集があんなに売れるはずかない。

彼らが権威、地位、お金やモノに執着するのも、そういうものが無かった時に育ったためかもしれない。しかし、そういったモノを欲しがり、独り占めしたくて生きた「子供の時代」は過ぎ、本当の「大人の時代」へ日本も少しずつ入りつつある。今や不健康の代名詞であったミュージシャン、アーティストでさえ、朝のジョギングをし、早寝、ノンアルコールの生活を実践しているではないか。

— posted by 郷田 at 04:59 pm