フレキシブルに朝を活用する

フレックスタイムが珍しくなくなってきたが、フレックスというからには、もっとフレキシブルに時間を使えないものかと思う。時間をフレックスにするのではなく、その日の体調や頭の働き具合に応じて、その日にスケジュールをうまくアレンジすべきである。本当に大きな仕事をしている人は、長い時間仕事をしているのではなく、短い時間に人の数倍のアウトプットをし、あとはひたすら頭の状態を悪くしないための活動に興じていることを知るべきである。

アメリカには「多忙な人ほど時間をたくさんもっている」という諺(ことわざ)がある。調子のよいときは自宅でゆっくり、体調の悪いときはラッシュより早く仕事場に出る。そのほうが少々疲れていても、他の人や場の力を借りて自分を厳しく律することができるからである。不調のときの疲労を重ねてしまう第一の要因はラッシュではないかと思う。

体調のよいときにはさほどこたえないが、少し無理がたたると相当こたえる。もちろん人間関係からくる疲れも無視できないだろう。しかし。こういうことも含め、調子の悪いときこそ明るく元気にふるまえれば、あなたも立派な社会人である。出社して午前中いっぱいかかって頭を始動し、正午に中断、昼一息、そのあと2~3時間働いて夕方疲れたと言いながら、ぐだぐだ過ごす残業は、いい加減に人生の浪費と気づくべきであろう。

組織に属するサラリーマンだから自由がないのではなく、安定した固定給と時間の拘束があるからこそ、より自由を楽しめるはずなのだ。早く出勤し、7時から仕事を始めれば3時か4時に終わる。そこから自由な一日を過ごす毎日であれば、どんなにか面白いだろう。週末まで待たなくともやりたいことがすべてできる。小学生に戻ったつもりで毎日をエンジョイできる。そうしたらきっと朝早く起きることが楽しくなる。家族とも夕食が食べられるし、地域活動もできる。

そして会社の仕事も必ずや効率よく片づくようになるだろう。もし退社時間までにできなければ、家に持って帰ってやればよい。O A機器、ファクシミリなどへのわずかな投資だけで、ほとんど会社と同じ仕事ができるだろう。時間に支配されず、自分で時間をコントロールする。もう、会社でなくては仕事ができないという感覚は、自主性のなさ以外の何物でもないことを知るべきだろう。頭脳労働はどこでも可能である。

もし頭がうまく働かないとしたら、足のひっぱりあいをしている会社の中だからだ、という皮肉なことになっていないだろうか。こういうことを皆で考えなくてはいけない時期にきている。眠りの状態をよくするには、まずは働くことの質を高めなくてはいけないはずだ。

外国のエグゼクティブは、はた目には働く時間こそ多くないが、勤務時間内では移動中もトイレの中でも考え、つまりいつも働いている。考えることと、その結果を出すことが働くことであり、そのための周辺の雑務をこなすことを「働くこと」だと思ってはいけない。

日本のビジネスマンは勤務時間中もだらだらとしていて、会社のなかをわざわざ不自由な生活の場としている。これを一概に悪いことだとは言わない。しかし。クリエイティブな頭の使い方には不向きである。もっと広いところ、変化や刺激のあるところを生活の場とすべきだからだ。時代はクリェイティビティを要求している。

日本人は主体的に自ずからかかわって物事を運ぼうとするよりも、傍観していて相手の出方に合わせようとする傾向がある。だから仕事としてみると、膨大な時間が無駄になっている。いつも先に一歩動くことだ。自分でちっとも忙しいと思っていないのに、まわりの人は忙しいと思ってくれる。

そんなに仕事ばかりに忙しいと息がつまってしまう。仕事を早く終えて遊びたいから、早く仕事をするのである。仕事だけで一日を終えたくない、とは思わないのだろうか。そんな一日の積み重ねが一生となるのである。たかだか仕事ではないが。

プロ野球や相撲は結果だけ分かればよいのでダイジェストで見る。多くの人はリアルタイムで見ている。勤務中にゆっくり見ていたりもする。しかしサラリーマンなら勤務中の会社が、プロ野球の選手ならグランドが勝負の舞台であろう。一人ひとり誰でも自分だけの舞台である仕事場があり、そこで頑張って結果を出すのが、より楽しいことだと思うし、そのように仕事を高めていくべきだと思うのだが。

— posted by 郷田 at 04:58 pm