クリエイティブな眠りとは何か?睡眠サイクルを考える

多くの人は、今の私たちの眠り方、つまり夜に寝て朝に起きるということを疑ったことはないだろう。もちろん昔は、誰もが日没と共に床に入り、日の出と共に起きて働いた。1960年のNHKの調査によると、夜10時に起きている人は34パーセントしかいなかった。その頃の夜10時というのは、「遅い時間」だったのである。

もともと闇夜の恐怖に、安全な場で安らぎの快感を得て過ごす合理的な手段が眠りであった。眠ることで五感を断ち切り、外界と遮断する。恐怖で気が遠くなったり、立ちすくんだり、眠ろうとするのは、この名残であろう。

しかし、ここ2、30年でこの時間感覚は著しくずれてきた。私の感覚では、今は午後10時といっても特に遅い時間ではない。電話もかかってくるし、事務所に人がいるときも多い。

もちろん子供の頃は、夜十時というと大変遅い時間であった。今でも、都市を離れるとそう感じることが多い。特にコンビニエンスストアなどが出始めた頃から、日本人の時間感覚は大きく変わってきたように思う。

しかし、ここで考えたいのは、そのまたはるか昔の眠りなのである。私たちが人間として誕生する以前、つまり動物としての眠りといってもいい。そこから考えてみると、日中ずっと起きて夜にまとめて1回だけ寝るような生活というのは、逆にきわめて特殊なことだということがわかる。

ネコやイヌをみてもわかるように、動物の眠りは1日の間で小刻みに少しずつである。いや、動物だけではない。赤ん坊だって同じである。赤ん坊は、1日の3分の2を眠って過ごすが、起きたり眠ったりというのが数時間間隔で繰り返される。しかし成長するに従い、夜にまとめて眠るようになってくる。幼稚園に行くまでは昼寝をとる子も多い。子供は大体、早寝早起きである。

しかも、老いてくると、また幼児と同じような眠りの取り方をするようになる。うたたね、居眠りが多くなり、深い眠りは少なくなる。ますます朝早くに目が覚める。さらに、現在でも私たち先進国以外の国の人たちには、こういうパターンの眠りの取り方が多い。となると結局、私たちの方が眠りに関しては、少数派で特殊な形態を取っているということだ。

ここから、私は二つのことを導きたい。子供が生まれたときには、親が赤ん坊に対してリズムを合わせて面倒を見る。赤ん坊の言うがまま、いや泣くがままに合わせた生活を強いられる。しかし、そこから少しずつ、赤ん坊を昼夜のリズムに同調させようと、食事をはじめとする生活習慣を教えていく。

そして幼稚園や学校にいく頃には、子供は完全に先進社会のリズムに組み込まれてしまうわけだ。そして、いつのまにか朝に起きるのがつらく感じるようになるが、必要性に応じてそのまま社会活動へと参加していく。その後、老いて社会との関係がうすれると、眠りはまた元のようになっていく。

つまり、今の私たちの生活は、現代社会に対応するためのものであり、どちらかというと現在までの産業社会にふさわしいシフトで眠りが組み込まれているということである。

しかし日本の社会が、これからパラダイムシフトし、一人ひとりの創造的能力の発揮を中軸とする社会へ変わっていくと、そこに必要とされる眠りのシフトは、今までとは全く違うものになることは想像に難くないであろう。

もう一つは、赤ん坊、幼児、少年、青年、大人、老人という順でとらえた個体としての人と眠りとの関係が、もしかすると文明の成熟、移行のプロセスを踏んでいるのではないかと思うのである。

  • 赤ん坊3分の2眠る、断続的眠り・・・(動物)一般
  • 幼児 昼寝、1日2回の眠り・・・(狩猟社会)一般
  • 少年 早起き、8時間の眠り・・・(農業・工業化社会)一般
  • 青年 夜更かし型へ、遅起きへ・・・(工業化社会・現在)特殊
  • 大人 朝から夜まで組み込まれた生活・・・(現在)特殊
  • 老人 早起き、継続的眠り・・・(未来・創造化社会)一般

すると私たちのこれからの社会は、早起き、居眠りの老人型になっていくような気がする。老人は赤子に近づく。幼児も少年も創造の天才である。青年はロマン、夢を志す。

青年という言葉の喪失と共に、こういう層がいなくなってきたのかもしれないが、それでも、そのクリエイティブなエネルギーは、決して現実的で打算主義のはぴこる大人社会に負けてはいない。会社を支え、クリエイティブな志をもっている人の顔は、青年そのものではないか。

クリエイティブな時間の使い方は、今まで規則正しい生活ということで説かれてきたが、私は必ずしもそうではないと思う。むしろ、私の経験上では赤ん坊や老人のようなゆったりした断続的な眠りの状態にひらめくものと、青年期のとことんまで物事を追い込み、3日徹夜、1日パタンキューのような生活の中にあるとしか思えない。

これは、私の経験からだけではなく、何かを成し遂げた人が必ずそれをやり遂げるときに経ているプロセスでもある。偉人や歴史的大人物だけではない。

考えてみれば、一昔前のモーレツ営業マンもこういうスタイルだったのではないか。バプル期の証券マン、予算編成期の官僚も、それにどこの業界でもナンバーワンタイプの多くの人は、皆このスタイルに違いない。

— posted by 郷田 at 04:58 pm